それは二月一日の出来事。
かおりんの野望
〜Kanonの系譜〜
「――諸君っ!」
美坂香里は、水瀬家のリビングの中央の小机をだん、と叩いた。
上に置かれたコーヒーに波紋が走る。
「…お気持ちはわかりますが、もう少し穏便にお願いします」
向かい側の天野美汐は、そんな香里の言動に少し顔をしかめながら、ずず…と湯飲みに注がれた緑茶を啜(すす)っている。
「はえーっ、なんだかずいぶん興奮なされてますね」
「…落ち着いたほうがいい」
美汐の左隣には、倉田佐祐理、川澄舞。
舞はその口に、連なった団子を運ぶ。
「たくさんありますから、お気になさらず食べてくださいね」
水瀬秋子は、そんな光景にもいつもの微笑を絶やさず、舞の隣へ腰掛けていた。
「くー」
そしてその隣に眠るのは、秋子の娘、水瀬名雪。
…誰も彼女を起こそうとはしなかった。
「美汐、この人なんで怒ってるの?」
と、疑問を投げかけたのは、美汐の右隣の沢渡真琴。
「うぐぅ、今からそれを説明するんじゃないの?」
それに先に答えたのは、真琴の隣の月宮あゆ。
つまり、香里の向かい側には七人の少女が座っていた。
「…諸君、ここに揃ってもらったのは他でもないわ」
香里はその疑問に答えるかのように言葉を発した。
口調には、冷淡ながらも怒りがこもっていた。
「美坂…栞のことよ」
美坂栞。
香里の最愛の妹であり、またここに集う少女たちと接点を持つ少女だった。
「栞ちゃんが…どうかしたの?」
最初に興味を持ったのはあゆだった。
あゆと栞は直接的な面識がある。
「…いい。覚悟して聞いてよ」
ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた。
「………死んだわ」
「ふえっ…」
「………」
「え、そ、そ、そんなっ…嘘…だよねっ…」
反応は似通っていた。
そしてその顔には、悲しみと困惑とが入り混じっていた。
「…なるほど」
一人の少女を除いては。
「何か言いたげね、天野さん」
「ええ、つまり美坂先輩の言いたいことはこういうことでしょう?」
美汐は少し皮肉めいた口調で、それでも彼女の口調は少女たちへの真理を語っていた。
「次の攻略対象は誰か、ということです」
「…そう。そういうことよ」
香里はその言葉を待っていたかのように微笑む。
「うぐぅ、どういうことなの?」
あゆは状況が理解出来ていないかのように困惑していた。
「…なるほど。つまりプレイヤーさんが栞さんの攻略に失敗したからもう一度次のプレイを始めるということですね?」
佐祐理は全てを悟ったかのように言った。
そう。
…彼女たちはゲームのキャラクターなのである。
「それならわたしが最初に出番があるんだよ」
その瞬間、眠っていたはずの名雪ががばっと顔を起こした。
「やっぱり最初に出てくるのがヒロイ…だおっ!?」
めき。
名雪の顔面に香里のメリケンサックがヒットしていた。
「うー、なにするの、香里」
「人の話は最後まで聞きなさい」
香里のこめかみはひくひくと動いていた。
「…くー」
名雪おとくい、寝たふり殺法。
「とにかく。全員にここで提案しなくてはことがあるのよ。これからのカノンの行く末を考えるために」
そんな名雪は既に無視し、再び話を進める香里。
「それほど重要なことなんですか?」
「ええ、よく聞いて下さいね」
香里は深呼吸をし、きっと目の前の七人を見据え、言った。
「我々は一人のヒロインを失った! しかしこれは敗北を意味するのか!? 否! 始まりなのよ!」
再びだん、と机を叩く。
舞の手からぽろりと団子の串が落ちた。
「…他のゲームに比べ、あたしたちの攻略対象であるキャラは6人。決して多くはないわ。にもかかわらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か! 諸君! あたしたちサブキャラの存在があったからよ!」
「…あう」
既についてこれない真琴が、情けない声を上げていた。
(美坂先輩、わざわざあてつけにメインキャラの方々を呼んだのでしょうか?)
美汐は心の中で呟く。
「ヒロインである方々もよく聞いておきなさい」
「は、はい」
あゆは神妙な顔もちで頷いた。
「サブキャラはメインキャラの話を盛り上げるには必要不可欠! そしてあたし達はヒロインを追われ、サブキャラにされた! そしてひと握りのヒロインが他のキャラのシナリオにまで膨れ上がったシナリオを支配して幾余年。サブキャラである我々が自由を要求して、何度、ヒロインに踏みにじられたかを思い起こすといいわ! あたしたちの掲げる、サブキャラひとりひとりの自由のための戦いを神が見捨てるわけは無い!」
香里はメインキャラ、あゆ、名雪、舞、真琴、そしてサブキャラで唯一EDのある佐祐理をじっと睨んだ。
「…うぐぅ、僕のシナリオサブキャラいないもん」
あゆが不満げに反論する。
「北川君が重要な役割してるでしょ。それに秋子さんだって」
「…う、うぐぅ…」
完全に反論できなくなり、再び沈黙するあゆ。
他の四人も四人で何かを考えるかのように押し黙っていた。
香里は再び話を続ける。
「あたしの妹! 諸君らが愛してくれた美坂栞はは死んだ!! 何故なの!?」
「少女だからです」
溜息をつく美汐。
「今こそ、あたしたちは立ち上がり、サブキャラとしてではなく、一人のヒロインとして話に参加するべきなのよ!」
(…少し、論点がずれかけてますね。言いたいことはわからないでもないですが)
美汐は思った。
ある環境に立つものが、その環境を抜け出すための権利を主張すると、時折エゴにも聞こえかねない。
香里は自らがヒロインになりたいだけではないか、と。
(しかし、それは私とて同じですか)
彼女もシナリオという強制力の前で、攻略出来なくなった一人である。
「戦いはやや落ち着いたわ。だけど、これを諸君らは対岸の火として見過ごしているんじゃないのかしら?」
香里は語りつづける。
一人のキャラクターとして、一人のサブキャラとして。
「秋子さん、お茶、もう一杯頂けますか?」
美汐は冷静にそれを見ていた。
「それは、私が注いで上げますよ。いいですか?」
同様にサブキャラである秋子は、特に動じた様子もなく、こぽこぽと急須でお茶を注ぐ。
「秋子さんもサブキャラ肯定派ですか」
美汐は少し微笑んだ。
「…わかりますか」
秋子も軽く微笑む。
「匂いです。貴方も私と同じ物を感じますから」
「ふふ、流石ですね…」
二人は意味深な言葉を語る。
同じ境遇にいるものの心理。
言葉が無くてもわかる。
彼女たちは同志なのだ。
「栞は! 諸君らの甘い考えを目覚めさせるために死んだのよ! 戦いはこれから!」
香里はなおも演説を続けていた。
「…佐祐理、大丈夫?」
舞は心配そうに声を掛ける。
サブキャラとして、ヒロインとして佐祐理は微妙な立場にいた。
サブキャラにして唯一EDのある彼女。
他のサブキャラと比べ、自分はなんと恵まれていることだろう。
彼女の心は揺れていた。
「心配をかけてしまったようですね…大丈夫ですよ、舞」
それでも佐祐理は笑うのだ。
それは自らが自らに課せた課題。
「…頑張って」
「ありがとう」
そして彼女らは親友同士だったのだ。
「諸君の、父も、兄も、シナリオという無思慮な抵抗の前に死んでいったのよ! この悲しみも、怒りも、忘れてはならない! それを…栞は…死をもって我々に示してくれた! 我々は今、この怒りを結集し、プレイヤーに叩き付けて、初めて真の勝利を得ることができるわ! この勝利こそ、戦死者すべてへの最大の慰めとなるの! キャラクターよ立て! 悲しみを怒りに代えて、立てよ、サブキャラ! カノンは、諸君らの力を欲しているのよ!
…ジーク・カノン!」
『ジーク・カノン!』
その瞬間、部屋にいたサブキャラ一同が立ち上がり、ぐっと右腕を空に掲げた。
「あうう…こ、これが…敵…ヒロインという影に隠れていた、伏兵…」
真琴は部屋の隅で震えていた。
サブキャラの革命。
メインヒロイン達にとっては恐るべき事態だった。
「何を言うの! サブキャラによる独裁を目論む女が、何を言うのか!」
舞は憤りに叫んでいた。
「独裁…」
名雪すら、真剣な顔もちで彼女たちを眺めていた。
『ジーク・カノン!』
『ジーク・カノン!』
『ジーク・カノン!…』
水瀬家には少女たちの叫びが響きつづけていた。
果たしてサブキャラが日の目を見る日は…来るのだろうか…
これは、どこかであるかもしれない、まだ存在しないかもしれない物語である。
ちゃっ、ちゃちゃちゃちゃ〜ちゃ〜ら〜(例のBGM)
カノン本部、水瀬家。
久瀬の指揮する猛撃の中、祐一は佐祐理の許婚に会う。
謎ジャムは、一人の命を、一人の怒りを、一人の悲しみを容赦なく破壊する。
Kanon〜敵が見えた日〜 『水瀬家に散る!』
…君は生き延びることが出来るか。
じゃんじゃんじゃんじゃかじゃん♪
(次回予告は本編とはまったく関連性がありません)