「……帰る」 列車が駅に到着するなり、香里はそんなことを言い出した。 「まあ、香里。そう言わずに騙されたと思って俺についてこいよ」 祐一がいかにも胡散臭い笑みで香里を誘う。 「そうだよ、香里。まだ着いたばっかりだよ?」 名雪は無邪気な笑顔を香りに向ける。 「……あんたたち、この風景見てよくそんな普通通りでいられるわね!」 と、香里が怒気を含んだ声で叫び、両腕を大きく広げた。 いつもクールな香里には珍しいオーバーリアクションだ。 「……お姉ちゃん、手、当たった」 慣れないことをしたものだから、隣で静かにアイスを食べていた栞の顔面に香里の手の甲が直撃したようだ。 それでもアイスは無傷なところがさすが栞である。 「私に妹なんていないわ」 照れ隠しにそんなことを言ってみる香里。 「そんなこと言う人嫌いです」 「ま、お約束はそれくらいにして早く出発しようぜ」 「な、私はまだ行くなんて一言も言ってないわよ!」 「もう、香里は強情だね。でも、今日の帰りの電車もうないみたいだよ?」 「なんですって?!」 慌てて駅の時刻表を確認する香里。 「………なんで、1日1本しか電車走ってないのよ、この路線は……」 「田舎だからな」 「駅があること自体、奇跡みたいなものですね」 「栞ちゃん、いいこというね〜」 「そんな奇跡、はた迷惑なだけよ……」 とうとう観念したのか、香里がとぼとぼと祐一たちに近づいてくる。 「よし。香里の覚悟も決まったようだし、いざ出発!」 「あの、祐一さん。それでこれからどこに向かうんですか?」 「あ、それ私も聞いてないよ」 「……あんたたち、目的も聞かずにここまで来たわけ?」 「祐一の誘いは断れないよ」 「私もです」 はぁ、と一つため息をついた香里。 「相沢君、争奪戦には気をつけてね」 「ん?なんか言ったか香里」 「いいえ、なんでも。でも、私は確か温泉に行くって聞いてきたんだけど……こんな僻地に温泉旅館なんてあるの?」 すると、祐一は勝ち誇った顔で、 「ふふ、こういう場所にしかない温泉があるだろ?」 と言った。 「まさか……秘湯?!」 「そう、その通り!!それを今から探すのさ」 その言葉に、香里がピクリと反応する。 「ちょ〜っと、待ちなさい、相沢君。今“探す”って言ったわね」 「ああ、そうだぞ」 「ちゃんと下調べとかしてきたんじゃないわけ?!見つからなかったどうするのよ!」 「大丈夫!絶対見つかるって!!」 「その根拠のない自身はどっから湧いて出てくるのよ!名雪、栞!あんたたちもこの馬鹿に何か言ってやりなさい!!」 「私は祐一さんを信じてます」 「私もだよ」 香里、本日数度目かの脱力。 「……あんた、教祖か何かにでもなるつもり?」 「そんな気はさらさらないぞ。まあ、それはともかく早く出発しないと日が暮れちまうぞ」 「そうだね。それじゃあ、しゅっぱ〜つ!」 「あ、名雪!どうしてあんたは走るのよ!」 こうして、いきなり駆け出した名雪の後を祐一、栞、香里の順で追いかけることになった。 結果。 「……ここ、どこかしらね?」 「ねこーねこー……っくしょん!」 「人の気配がまったくないな」 「ねこーねこーねこー……っくしょん!」 「猫ならいるんですけどね」 「ねこー……あ〜香里〜ねこさんどこに連れていくんだお〜」 「で、相沢君。これからどうするの」 名雪から猫を奪い去った香里は、何事もなかったかのように祐一にたずねた。 「うう、香里が無視するよ〜」 「名雪さん、アイスを差し上げますから姉さんを許してください」 「ありがとう、栞ちゃん。でも、このアイス溶けてる……」 そんなやりとりを名雪と栞がしている間、祐一と香里は、 「はぁ?!あんたまだ秘湯を諦めてないの?」 「おう!秘湯は漢の浪漫なんだ!!」 「却下よ却下!そんな浪漫捨ててさっさと帰るわよ!」 「なにぃ〜、ここまで来ておいてそんなことが出来るわけないだろ!」 といった風に堂々巡りを繰り返していた。 「それに、帰るっていったってなあ。どうやって帰るんだよ」 「それならご心配なく。さっき名雪から猫を奪い去って離れた時にバス停を見つけたの」 「なぬ?!」 「じゃ、私はバスで帰るから。相沢君たちはごゆっくり〜」 「あ、お姉ちゃん帰るんだ。じゃあ私も帰る」 「う〜ん、じゃあ私も」 「な……なあ、君達。もう一度考え直してみる気はないかな?」 「ないわよ。これっぽっちも」 即答する香里。 「じゃあ、相沢君。頑張って秘湯を探してね〜」 「楽しみに待ってます」 「お土産は温泉タマゴでいいよ」 そんな台詞を残して、そそくさと去っていく三人。 後に残された祐一は、 「くっ、何故だ。俺が考えた『みちのく秘湯ぶらり混浴湯煙ツアー』は完璧だったはずなのに……」 という謎の言葉を呟きつつ、その場に立ち尽くしていた。 お・し・ま・い♪
あとがき あゆ:うぐぅ、ボク祐一くんから誘われなかったよ。 秋子:あらあら。でもこれは香里ちゃんのお話だからしょうがないのよ。 あゆ:え?そうなの? 秋子:とてもそうは見えませんけど。 あゆ:うん。名雪さんのほうがどっちかというと目立ってるもんね。 秋子:まあ、私の娘ですから。 あゆ:……秋子さん、今さらっと凄いこと言った…… 秋子:あら?何かしら? あゆ:ううん、何でもない何でもない。それより秋子さん、ボクも温泉に連れて行ってよ。 秋子:了承。