「はぁー」 溜め息から始まった夏休みのとある遅い朝。 ボサボサ髪の香里は、鏡の前で疲れるようにしてもう一度見つめ返す。 そして、唇を手であんぐりとかえした。 愛する栞…無論、祐一とその愉快な仲間たちにはこのマヌケ面など絶っ対に見せてはならないと 固く決意しながら、香里は己の綺麗な唇の裏を凝視した。 「………」 無言である一点を睨むが、諦めたような顔つきで視線を外し、蛇口を捻って手を洗う。 「あたしとしたことが…」 かなり悔しそうな声色で、がっくりとうなだれた。 「口内炎ができるなんて…」 そして、最後にそう締めくくった。 思えばここ最近、生活リズムが不規則になっていた…。 毎晩は遅く寝て、朝は遅起き。 しまいには夜食などの食べていたのだから、どう考えても不健康だ。 香里の体は素直。 だから、口内炎という、とてつもなく面倒なものが出来てしまったのである。 不規則な生活になったのは、あのぼんやり娘の水瀬名雪。 そして変人の相沢祐一のせい。 夜食は秋子さんが作ったので、秋子さんのせいでもあるのかもしれないが、あの人は 親切心で作ってくれたのだがら、全く罪はない。 よって、夜食のせいではないと判断。 つまり、ボケだお星人とばかばか星人二号の『宿題できないよ〜』という情けない声 を救ったせいで、香里に災いが起きてしまったということだ。 「はぁ」 廊下を歩きながらまた溜め息。 かなりのショックだが、それよりもこれからの生活に対する不安が大きい。 食べ物が美味しくいただけないことは勿論だが、それだけで収まらないと香里は確信していた。 そして、その確信は早くも現実化してしまうことになる ダイニングには栞がいた。 なにやら本を読んでいるようだ。 足音が聞こえたのか、栞がこちらに気づく。 「おはよう、お姉ちゃん」 「おはよ………」 『おはよう』の『う』が出てこなかった。 なぜなら、彼女は今、テーブルの上を見てしまったから。 テーブルの上には朝食…今の時間帯だと昼食とも言えるべきご馳走が山盛りにあった。 敢えてつけ加えるなら、どれもこれも口内炎にシみそうなものばかり。 「ぅ…」 『う』がやっとでたあと、香里はそのまま絶句。 朝から地獄を見ている彼女だが、対する妹は 「お母さんもお父さんも昼にはかえって来れないらしいから、私が作ってみました。 ささっ、座ってお姉ちゃん」 幸せなひとときを見ているようだ。 香里は栞に促されながら、重い足どりで席に座るとあらためて妹が作った料理を見る。 「………」 泣きたかった。 「はい。お箸とご飯」 栞が天使の笑顔を見せるが、香里にとっては某歌の詞『天使のような悪魔の笑顔』。 おそるおそる栞から箸を受け取った香里は、それ以降の動作は暫く止まる。 口内炎にしみるものは、水とご飯以外はすべてである。 特にタレもの系やしょうゆ系、塩はかなりキツイ。 だから、無難なご飯から食べることにした。 モグモグモグ モグモグモグ モグモグモグ モグモグモグ が、己の目の前でご飯だけを食べていれば、まともな人はそれを異変と捉えるのが普通である。 栞も思考回路はまともなのだから、異変に気づくのも普通といえよう。 「お姉ちゃん…もしかして体調が悪いの?」 「そ、そそんなことないわよっ」 反射的に言葉が出てしまった。 一生の不覚。 そのまま体調が悪いとデッチあげて、部屋に戻れば良かったと後悔をしたが もう遅い。 お姉さんに異常が無いと安心した栞は、当然のごとく自信作を薦める。 「じゃ、これ食べてみてください」 と差し出された、大きいコロッケ。 ご丁寧にも、ソースが既にかけてある。 「私なりに、オリジナルな形で作ってみたんだけどね」 えへへと純粋に笑う。 「………」 これはもはや、素直に白状するしかない。 口内炎の痛さはそれほど恐ろしく痛いのだ。 「あのね、栞…」 それに、あたし色に染まっている賢い妹なのだから、きちんと理解してくれるだろうと思う。 「実は、あたし口内炎で…」 「口内炎?」 「そう、口内炎」 「口内炎かぁ…だったらシみるよね」 「そうなのよ」「…それで?」
「え?」 「うん。だからそれでなに?」 「いや、だからシみるから…」 「シみるから?」 「食べるのは遠慮したいんだけど…」 「気合で乗り越えてください」 全く染まっていない妹だった。 同時に、この色は誰だかすぐ分かる。 相沢祐一。この阿保男以外に誰が居るものか…。 燃え盛る怒りの炎の中で、復讐を誓う香里だが… 「さ、お姉ちゃん」 「うっ…」 まずはこの試練を突破しないことには何もできない。 というか、強制的に受けさせられる。 「…ごめん。やっぱりあたし食べられ…」 栞お得意の泣いちゃう光線が点火された。 潤んだ瞳。そして、何かを必死に訴えかけるような瞳。 そんな捨て子犬のような瞳から出されるその光線は、間違いなく人に罪悪感を持たせる。 それも、妹を大事にしている香里にとっては威力倍増。 絶対服従光線とも言えよう。 ようは、香里にとって秋子さんと対等な力を持つ光線であるのだ。 「わ、分かったわよっ。た、食べるからそんな顔しないでっ」 そう言うと、さっきまでの栞はどこへやら。 けろっと元に戻り、期待の笑顔でじ〜っと見つめてくる。 香里はううと嗚咽をもらしながらも、ゆっくりとコロッケを箸ではさみ そして、これまたゆっくりとコロッケを口に運んでいく。 パク サク… サク… サク… 思っていたほど痛くない。 案外大丈夫かと思った香里。 サクサクサク… だが、それは間違いだ。 ジュワァ… 「い、いい…いっ」 美坂宅に、とてつもない悲鳴があがったとかあがんないとか。 「ねぇ祐一。 わたしが作ったいちごケーキ。香里喜んでくれるかな?」 「ちゃんとムースもかけたんだろ?だったら大丈夫さ」 「だよね。そうだよね」 「ま、こうして宿題のお礼を作って届けるなんて、俺たちは友達思いだな」 「うんっ」 ここにも、天使の悪魔が二人…。
あとがき チュンスケ 『不出来な作品ですが…K`sさん。どうか受け取ってください〜(泣)』 美汐 「そのかわりですが、私が責任を持って作者にキツイ地獄を見させますので…」 チュンスケ 『え?』 美汐 「逝きなさい、作者」 チュンスケ 『ちょ、ちょっとま……』 作者は地獄へ逝きました